山積みの本

思考の近道とは、人間が効率良く生きていくために自然に形成されてきた知恵でした。

判断のヒューリスティックとは、その思考の近道によって形作られた、多くの人がそう判断するであろうパターンです。

そのパターンの一つである、「専門家がそう言うなら、正しいに違いない」というルールについてここでは深堀していきます。

自分にとって重要なことには慎重になる

ある一辺の情報だけで機械的に自動的に反応してしまうのを「カチッ・サー」(固定的動作パターン)といいました。

それとは逆に、すべての情報を充分に分析した上で反応するのを「コントロールされた反応」と呼びます。

数多くの研究によると、情報を注意深く分析しようとする欲求と能力がある場合、人はコントロールされたやり方で反応することが多くなります。

しかしそうでない場合は、もっと楽な「カチッ・サー」に頼る傾向にあります。

それを示す実験がありました。

ある大学の学生たちに、とあるスピーチを聞かせました。

内容は、教育の専門家による、

「四年生全員に卒業試験を課し、合格できなかったものは卒業させない」

という案を支持するものでした。

ただ、実施されるタイミングについて、

「その試験は来年、君たちの在学中に実施されるかもしれない」

「君たちが卒業したのち、だいぶ経ってから実施されるだろう」

という2つのパターンのどちらを聞いたかで生徒の反応を見たのです。

結果は、やはり反応が大きく異なりました。

少なくとも自分の時は実施されないと知った生徒は、話し手が専門家だと言われただけで納得し、話の論点にはほとんど注意を向けなかったのです。

それに対し、自分の時に実施されるかもしれないと聞いた生徒は、話し手が専門家であってもそのスピーチの内容を注意深く分析しようとしたのです。

この実験結果によってわかったことは、

安易にカチッ・サーを用いると危険な場面では、慎重さを発揮するということです。

この傾向のおかげでそう易々と失敗はしなさそうですが、そこにはまだ落とし穴があったのです。

時間もエネルギーも不足しがちな私たちの社会

たしかに、重要な局面などでは普通よく考えて行動するでしょう。

しかし、先ほどいっていたことを思い出してください。

コントロールされた反応ができるのは、そうする欲求とともに能力があるときです。

私たちの現代の生活は非常に目まぐるしく、もはや私的な重要事項についてさえも、充分に考えて決定を下すことが難しくなっているのです。

直面した問題が複雑で、時間も切迫し、気を散らせる刺激がそこかしこに溢れ、感情の高ぶりも激しく、心理的な疲労感も強いために、よく考えた反応ができないことがあるのです。

それは人の死に直結していても当てはまることで、機長症候群と呼ばれます。

おわりに

私は高卒なのでキャンパスライフというものに少し憧れています。

まあ今頃になって入学しようとは全く思いませんが……。

高校生からの進路選択という場合でも、大学は出た方がいいから進学にするとか、家計に余裕がないから就職したいとか、よくあると思います。

もちろんその時の選択で人生が決まるわけではないでしょうし、修正も充分できるとは思います。

しかし重要な選択肢であることには変わりはありません。

一つの考えに捕らわれてはいないか、視野は狭くなっていないか、本当はどうしたいのか、今一度考える慎重さは、後になってその大切さがわかるはずです。

いずれにしても、選択した後にどう頑張るかが大事であることも肝に命じていて欲しいものです。

次回は、機長症候群と言われた最たる事件を紹介します。